穀潰し的読書録

チラシの裏にでも書いておけ

【読書録3】『愛という病』中村うさぎ

 週刊誌での連載をまとめたエッセイ集である。もともと「容姿の悩みとの付き合い方」を書くときに何か参考になることがあるのでは、女性特有の考え方があるかもしれないと思って図書館から借りてきたのだが、読み終えるよりもそっちを書き終える方が早かった。

 結論から言うと、女性特有の答えのようなものがあったのである。以下は「日本男児と異形のヒーロー」よりの引用である。

 女の子は幼い頃、たいてい、バービーやジェニーやリカちゃんなどの着せ替え人形で遊ぶ。言うまでもなく、人形は、自分の分身である。手足が長くて顔が小さく目のパッチリした人形に自己投影し、脳内に「理想の自己像」を作り上げるわけだ。

(中略)

 小学生の頃にバービー人形の呪いに取り憑かれ、細い体や大きな目や尖った顎に憧れて、美容整形までしてしまった。現在、五十一歳にもなるのに、私はいまだにバービー人形になりたがっている。我ながら滑稽だけど、やめられない。誰が何と言おうと私は自分の「見た目」にこだわり続ける。

 だってこれは「呪い」なんだもん。(以下略)

 このエッセイの趣旨は女性の容姿へのこだわりについてではないし、こだわりの要因は誰もが人形だとは限らないと思うのだが、彼女は女性の容姿へのこだわりを「呪い」だと表現した。

 この後、呪いは王子様のキスで解けるものだが、私には王子様なんていないし、金で買った王子様は役に立たないという皮肉が続く。そしてこういったこだわりはある程度生得的なものなのではないかと述べている。

 この「呪い」は美容整形をすることで完全に解けるというものでもないのだろう。現に著者である中村うさぎ氏は何度も整形を繰り返してこの「呪い」と戦い続けているのである。そしてその姿勢を自分でも「滑稽である」と認めているのだ。

 これを自己肯定感の問題だとしてしまうのは簡単だが、本当にそれだけで片づけられる問題なのだろうか。それは男である自分視点での考え方であって、女という生き物は、もっと複雑なものを抱えながら生きているのかもしれない。

 このエッセイ集には、こういった女性の抱える矛盾や不可解さといったものについて考察し、女というものをもっと理解しようという著者の思いが全体を通して感じられる。本の最後の解説にも書かれているのだが、著者自身が、整形や風俗業、借金や色狂いに身を投じてきたからこそ、そこには強い説得力があるのだろう。